同窓生の『思い』
開校百三十年の静岡英和の歴史を顧みて、今、同窓生が母校に寄せる『思い』をご紹介します。
百三十年前の一八八七(明治二十)年十一月二六日、ここ西草深の地に、初代校長ミス・カニングハムをカナダから迎え「静岡英和女学院」の前身である「静岡女学校」が開校しました。これが、静岡県における女子教育の始まりです。明治政府初代静岡県令「関口隆吉氏」、そして静岡教会牧師「平岩愃保氏」の『思い』が、数々の支援者の協力を経て、花開いた瞬間であります。これは当時の静岡における先進的な考え、そして、高い精神性を持った人々の『思い』の上に成り立ったことなのです。
この『思い』という概念ほど、重く貴いものはありません。それは人が生きていく上で最も大切な『希望』と同じ意味をもち、最も崇高で高潔なものだからです。
ただ「百三十年」と文字や言葉で表しても、その価値や貴さのわからない人間にとっては、なんでもないものでしょう。しかし、その、一日一日を懸命に生きた人々のことを思い起こす時、そして、一万五千人を超える同窓生、数百人の教鞭をとってくださった先生方おひとりおひとりにその日々があったことを思い起こす時、その『思い』の重さに、私は今更ながら尊敬と畏怖の念を禁じえません。
この百三十年という永い歳月のなかには数々の苦難がありました。大きな戦争もありました。静岡英和の設立から運営に大きな力を注いできたカナダミッションの援助は打ち切られ、校名も英国の英は使えず「静陵」と変えさせられ、女子教育のために教壇に立っていたカナダ人女性宣教師の先生方も、強制的に帰国させられてしまいました。生徒達は軍需工場で働き、美しかったヴォーリズ校舎も空襲で焼け落ちてしまいました。
しかし、英和は無くなりませんでした。終戦直後、焼け跡で教育活動を再開し見事に復活します。なぜならそこには、あの学び舎でまた学びたいという生徒達の『思い』があったから。そして、女子教育の場を再建し、多くの心ある人間を育てたいという先生方の『思い』があったからです。
カナダミッションから独立後の資金難は、多くの同窓生の募金で切り抜けました。そして、百周年記念事業では礼拝堂にパイプオルガンを奉献、さらに新礼拝堂・校舎の落成。数々の学校の沿革の影には、常に同窓生の母校発展への『思い』が大きな力となってきました。
いま、私達の母校は嘗てない危機の中にいます。それは生徒の減少です。少子化や私学進学者の減少のなか、世の中では男女共学化に安易に舵を切る風潮が目立っています。
私は英和の良さを聞かれたときには「自分も周りの人も幸せにする力を身につける学校」と答えています。受験のために知識を詰め込む学校はあまたありますが、心の教育を百三十年間続けてきた女学校はここにしかありません。今こそ、英和を支えてきた人々、そしてその『思い』を胸に、この苦難を同窓生の力を合わせて乗り切りましょう。